ちょっと早めに今年1年を振り返ってみる

毎年ぎりぎりまで残しておくネタですが、結局12月31日に焦って書くことになるので、今年は早めに書こうと思います。

今年は「怒涛」という言葉が似合う1年だったかなと思います。人生初の転職からなんとすぐに2度目の転職というね、慌ただしかったです。そんな1年を振り返ってみようと思います。

2021年

1月

東京で働いていました。Googleフォトを振り返ってみると、1月のしょっぱなに海ほたるPAに行ってみたいですね。

コロナの影響で正月もずっとアパートで引きこもり生活を送っていました。確か毎日のように会社を辞めるかどうか悩み続け、酒に溺れていたような気がします。毎日布団の中で生活していたので、仕事が始まってすぐに首を痛めて辛い思いをしていました。

会社辞めたくなるほど病んでいたので、特に会社の人には相談せずに意識的に残業しないようにしたり手を抜くようにしてみました。そしたら2月にツケが回って死ぬほど忙しくなりました・・。

2月

確か僕1人で3つくらいの案件を回していたような。コロナのせいで飲食店が閉まるのが早く、出先作業で夜遅くなると最寄駅に着くまで何も食べられないという状況になりました。

グレて路上飲みしてました。

おそらく今年一番働いたのが2月でしょう。多分休んでません。仕事しなかった日はないと思います。平日はお客様と打ち合わせしたりパートナー会社様と会議、そして週末に作業、もしくは平日の打ち合わせの資料準備。ひたすら働いてました。働かないのが不安になるくらい働きました。

そしてポッキリいきました。

会社を辞める決意をした次の日くらいの出先作業の時のカツ煮。確かこれ鶏肉なんですよ、ボリューミーでした。辞める連絡は直属の上長にメールで連絡しました。メールの送信ボタンをなかなか押せず、1日中悩んだ末に送信したのを覚えています。その時は上長もとても忙しかったみたいで、直接話せたのはメールを送ってから数日後でした。

直接会話し、転職先を決めてから辞めてもいいんじゃないかと言ってもらえたので、次の日にはタクシー会社に応募していました。

3月

タクシー会社の面接の帰りに食べたつけ麺。そんなに美味しくなかった気がします。

「大好きな運転を仕事にできる!!!」と期待に満ち溢れていましたね。今思えば首都高を迷わず走れるようになったくらいでどうしてそんなに自信を持っていたのかと思いますが。

会社を辞めると決めてからは、引き継ぎや有休消化に努めました。もうタクシーのことで頭がいっぱいで、とにかくはやく辞めさせてくれ〜なんて考えていましたが、現実はそうもいきませんよね。いかないんです。僕がやっていた仕事はずっと僕と上長だけでやっていたので、現場ごとの細かい作業状況とかを把握しているのが僕だけだったんですね。なのできっちり引き継ぎが完了するまではいてほしいと言われてしまい、結局3月の頭に退職宣言したのに5月末までいることになりました。まあ会社サイドからしたら当然の言い分だと思います。

4月

めっちゃドライブしてました。

これは欅坂46のラストライブ円盤の広告を見るために渋谷に行った時の写真です。

「やっと辞められるぜ」とウキウキしていたのも束の間、思ったよりも引き継ぐことが多くて焦っていました。今までノータッチだった後輩に引き継ぐことになるので僕がある程度理解した上で説明しないといけません。それなのに理解半分でやっていたことが多く、引き継ぐために各方面にいろいろ確認したりと大変でした。これまで自分がやっていた作業を後輩ができるようにならないといけないので、この時期が一番後輩育成・指導していた気がします。そういうのが嫌いなわけではないのでそこまで苦ではありませんでしたが。

写真なんかも撮りに行ったりして(5月更新ですが写真撮影は3月です・・)。

東京に進出した友人と飲んだりなんかして。閉店時間が早くて残念。でもタバコが吸えるお店だったので吸いまくってた。

5月

有休消化がなかなかできずにいたので、まとめて休むことが多かったのが5月です。残作業整理すると退職日まで間に合いそうになく、有給使って自宅で仕事したりもしてました。でも転職後は忙しくなるだろうと思ったので、仕事しつつもできるだけ遠征するようにしました。

千葉の館山市だったり、群馬の妙義だったり。このほかにも都心を走りまくったりしてました。

そんなこんなで無事転職です。時期がちょどよかったのか、ボーナスもらっての転職です、ラッキー。

6月

夜の海ほたるPA。友人載せていきました。

6月はひたすらタクシーの研修の日々でした。アパートから片道1時間半くらいのところに毎日通い、会社の研修を受けました。その後、2種免許取得のために教習所通い。免許を取ったらタクシーセンターでさらに研修。今年いちばん勉強した月だと思います。真面目に毎日こつこつ勉強していました。

毎日アルコールチェックがあったので、ノンアルビールで乗り越えました。5月に好きなように飲み食いして遊び呆けていた反動があり辛かったですね。なので翌日休みというときは豪遊していました。

そして無事に研修を終え、配属。

転職先のタクシー会社は大手だったのですが、中途で入った人へは風当たりが強いらしく、同乗指導が1日のみでいきなり野に放たれます。これは独り立ちしてすぐのときに撮った写真です。研修中に聞いた話ですが「タクシーという職業は初乗務のときに自分にこの仕事が合っているか合っていないかがわかる」んだそうです。僕は間違いなく合っていないと直感で思ってしまいました。

でもまあそれで諦めてしまうのも悔しいですし、何よりも周りの反対を押し切って転職してしまったので認めたくなかったんでしょうね。

「新人です」と言えば優しくしてくれるお客さんが多かったですが、急ぎのお客さんからしたらそんなこと関係ないですよね。怖いお客さんは怖かったです。

7月

7月はがむしゃらに頑張るしかないと覚悟を決め(つもり)て頑張りました。後半はオリンピック需要もあったりして、今思えば良い経験ができました。

酔っ払いを乗せるのが嫌で、せめて年齢層の高そうな銀座や日本橋を走っていました。新宿がいちばん嫌いでした。渋谷は若者が多く、夜中は「三軒茶屋まで!」っていうお客さんがいて、246号線をまっすぐいけばいいだけなので比較的楽でした。

朝の羽田行きを引いた時の記念写真です。無線が入るようになってからは稼ぎやすくなりました。

個人的にいちばんやばかったのは日本橋で「福島まで」と言いながら乗ってきたおじいちゃんでしたが、よくよく聞いたらお金ないとか言い出し、事務所にも「とりあえず連絡しないで話を聞いてくれ」と言われました。結局30分くらい話聞いて「無理!!」と言って降りてもらいました。素直に降りてくれてよかったです。あとで内勤さんにこの話をしたら「あるあるだよ」とのことでした。「そういうおかしなお客さんに出会うのもこの仕事の醍醐味」とか言い出したので、やっぱり僕にはこの仕事は無理かなとまた思い始めました。

そんなときでした、オリンピックで道が激混みの中ミスをしてしまい、お客さんを遅刻させてしまったのは。めちゃくちゃ怒られ、もちろん料金は僕が払いました。しかも3連休の前の最後のお客さんということがあり、かなり凹みました。

この頃でもう気持ち的には辞めたくなってました。

入社日が一緒の同期も1ヶ月ともたずに辞めていたので、僕も本気で辞めることを考え始めました。そして、その3連休の中で、その辞めた同期とご飯を食べました。そして、辞めたい旨を相談しました。結果、合わない仕事を続けていく意味はないという結論に至りました。ましてやタクシードライバーという替えはいくらでもいる仕事なんて。ちなみに、その同期は「人生一度きり」というワードをよく使っていました。良いワードですね。

8月

辞める決意をしたので、せっかくなのでもう1乗務してみました。「どうせもう辞めるし」というメンタルで乗務したらどうなるんだろうという単純な興味ですね。そういう時に限って良いお客さんに出会えたりするので不思議ですね。営業収入も乗り始めて1ヶ月にしては悪くないと内勤さんから褒めてもらいました。そして帰宅してすぐに辞めたい旨を伝えました。その後いろいろあり、辞めることができました。

さてさて、今回は前回の転職とは違い次が全く未定の状態での退職です。不安はありました。

その後、どんな経緯だったかは覚えていませんが、地元に帰ることにしました。ずっとやりたいやりたい言っていたタクシードライバーがダメだったので、次に何をすれば良いかわからなくなっていたんだと思います。とりあえず地元に戻ってやり直したい的な。

地元に帰るということで、しばらく会っていなかった友人のもとへ。簡単に飲み会しました。アパートからは2時間・・。でも不思議なことに人間はいくら酔っ払っても寝床を求めて動くことができるんですね。酔ったまま人のお家に泊まるのは気がひけたので、1駅先の快活に泊まりました。

そんなこんなで人に会い、地元に帰る準備を進めました。アパートの引き払いとかですね。

アパート引き払いの前日は、ひたすらドライブしていました。

海ほたるPA
大黒PA
箱崎PA
辰巳PA

最後に、よく行っていた首都高のPA制覇しました。その後快活で一夜を過ごし、山形に向けて出発しました。

午前にPCR検査を受け、14時くらいに日本橋を出発し、ちょこちょこ休憩を挟みつつ翌日のお昼前には庄内に到着しました。まじで8月が急ピッチ。

庄内に戻ってきてからは、「東京から来た」ということで2週間ほど自主隔離生活してました。ハロワを眺めて仕事がなくて絶望したのでとりあえずブログ書いてました。

9月

久しぶりにラーメンを堪能していました。

やはり庄内のラーメンは格別です。東京であまり飲食店巡りをしなかったのもあると思いますが。でも安心する味です。

9月も本当に色々ありました。ラーメン巡りをして卓球も再開して、なんと仕事も見つかりました。仕事は大学時代にお世話になった先生から拾っていただきました。完全に路頭に迷っていました。実家に戻ればなんとかなると思う人もいるかもしれませんが、まじで選べません。仕事はありますが、選ぶ余裕はありません。それくらい限られます。なので、一度都会に出たらそのまま都会にいた方が仕事は見つけやすいと思います。

仕事が決まって心の余裕ができたからか、久しぶりに庄内の豊富な自然に飛び込んで写真撮ったりしてました。

これは僕が東京に行ってからもちょくちょく連絡を取り合っていた人と行ったのでとても楽しかったです。また行きたい。

9月の頭は焦りに焦っていましたが、終わる頃には仕事も決まりとてもハッピー。

10月

10月は仕事頑張りつつ毎週のように写真を撮りに行っていました。

仕事もして趣味も充実してとても楽しい日々でした。今年一番充実していた様な気がします。そしてなんとなんと車買っちゃいました。今思えば金銭的に危険な判断だったかもしれませんが、今楽しく運転できているのでとりあえずいいかなと思っています。

変わらずラーメンもいっぱい食べました。東京で食べる外食の100倍うまい。

めちゃんこ楽しんだ10月でした。

11月

納車しました。

ラストインプレッサです。6万キロくらいからの乗り出しでしたが、特に大きな故障もなく走りきってくれました。本当に感謝です。

紅葉終わり際滑り込みで山に行ったり。

11月も基本的に仕事して卓球して写真撮ってラーメン食べて過ごしていました。Googleフォトの写真振り返っても平和に楽しく過ごしていたなと思います。

12月

職場の人間関係に染まってこんな記事書いてました。誰かに響いただろうか。

フォレスターを納車してからの初めての長距離ドライブ。最近庄内は吹雪の日が多いですが、そんな日の雪道も問題なく走れています。フォレスター強い。

そして12月は卓球の社会人クラブに加入しました。東京にいたとき、コロナで当分帰ることは無さそうと思い協会登録をしないでもらいました。なので実質所属していたクラブを抜けました。
当初はそのクラブに出戻りしようと思いましたが、学生時代の知り合いから違うクラブに誘われそっちに入ることにしました。大学時代は指導者の方に重きを置いていましたが、若くて体が元気なうちにもっと卓球楽しんでみようかなと思いました。なのでしばらくは指導者よりもプレイヤーとしての活動が多くなるかもしれません。来年は試合に出てみようかな。

クラブ入りたてなのに忘年会にも参加させてもらって、同じ世代の人たちと交流するのは楽しいですね。

そんな感じで今に至ります。

まとめ

転職2回といろいろあった1年でしたが、今は元気です。

8月くらいまでは不安に溢れた日々でしたが、今と比べると天と地ほどの差がありそうです。すべては拾っていただいた先生に感謝です。

こんな楽しい日々もいつまで続くかはわかりませんが、とりあえずは今を楽しもうと思います。来年については考え中です。働きながらもいろいろと選択肢が広がっています。今のお仕事がいつまで続けられるかわからないということがあるので、次のために何かしらスキルを身につけるか、再スタートするために大学院などに進んでしっかり勉強するか。

11月にちょこちょこ記事を書きましたが、本当に進みたい道が決まった時のために、とりあえずはお金を作っていこうと思います。

今年はいろいろあったと言っても全て経験に変換できているので無駄ではなかったかなと思っています。来年も経験値を貯めていこうと思います。

来年もよろしくお願いします。

最新情報をチェックしよう!